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2015/02/16

コラム:クレイ・ジョーンズが語るジョン・ランドグラフとボブ・バートの真実、そして日本のブティックペダル市場の夜明け 前編


生産台数50台という幻のドライブペダルClay Jones OD。その作者クレイ・ジョーンズが、友人でもあったJohn Landgraff とBob Burt、そして日本のブティックエフェクター市場の黎明期について語りました。その抄訳を前後編に分けてお届けします。

(Image from: Blue Angel Music)

あれはたしか1997年のこと。ふらっと入った楽器店で、私はその店のアンプテック(訳注:ジョン・ランドグラフ)と話をした。

当時の彼はナイスガイで、私達はアンプのトランスやギターのピックアップについてざっくばらんに意見を交換した。彼はPedalman という男とともにTS808の改造を請け負っているとも言っていた。

(訳注:ペダルマンはRomain Bidaut という人物のエフェクターブランド。代表作のPedalman 818 は、ロメインが設計し、アーロン・プリンスが塗装を、ランドグラフが組み立てを担当しました。中身は改造したTS808 で、後のLandgraff DOD に通じる部分が多々あります。59台を製造した後、2002年に健康上の理由でペダルマンは終了しています)

時は流れて2001年頃。その楽器店に行くと、件のアンプテックが「デザイン」した「Dynamic OD」とやらが日本でとんでもない高評価を得ていることを知った。

同様に彼が「デザイン」したディストーションペダル「MO-D」や、ブーストペダル「Clean Boost」が高い人気を得ていることも。

また彼は「キラー」なギターアンプも開発中で、それらすべてが彼自身による「オリジナルデザイン」だと言っていた。私は彼の成功を祈ったが、一方で彼が少しよそよそしく冷淡になったようにも感じた。

それから1週間後、開発中のエフェクターのノイズに悩まされていた私は、アドバイスを貰おうと思い彼 - 新たに出現した教祖 - の元を訪ねた。彼は成功したペダルビルダーで、きっと私の知らないことを知っていると思ったからだ。

しかしタッパに入った基板がむき出しのエフェクターを見た彼は、私の質問の意味を理解できていないようだった。彼は眉を丸くして首をこわばらせ、ニヤニヤした笑みを浮かべながら「君にこれは不要だ。時間の無駄だよ。ちょっと待っていて」と言って部屋を出た。

戻ってきた彼の手には、渦のようなペイントが施されたツヤツヤのペダルが握られていた。彼はこのODペダルこそが私に必要なものだと言った。それこそが彼のペダルだった。

そのペダルは日本の有名なギタリストが使ったことで価格が高騰しており、今となっては当時の265ドルという価格で買うことは不可能だ。

ランドグラフは金の卵を生むガチョウになったのだ。私が彼を「うぬぼれのかたまり」だと思ったのはこのときだった。彼は私がそう思ったことを知っている。私がその場でそう言ったからだ。

その楽器店のオーナーにとって、ランドグラフの成功は降って湧いたような幸運だった。ランドグラフがペダルを作り、楽器店を経由して売る。オーナーは販売価格を上げ、誇大広告も加速した。

またランドグラフは、とあるキャビネット製作者(訳注:ボブ・バート)もこの商売に参加させた。

ガチョウは飛び回った。彼らはインターネットを使い、楽器系の掲示板など様々な場所で米国内に向けた自作自演の宣伝、すなわちスパム行為をしていたのだ。

しかし2003年、ガチョウは飛び立った。彼はベンツの停まる新しい家で自ら商売を始めたのだ。オーナーとバートは不満だった。とても。



私がこのことを知ったのは、2003年に - まるでうさぎの穴に落ちるように - 再びその店を訪れたことがきっかけだった。

そこには暗い顔をしたオーナーとバートがいた。ガチョウはペダルに注力しており長いこと店に来ておらず、店の隅には修理を待つアンプが積み上がっていた。

店へのペダルの注文に対し、ガチョウからの供給は不足していた。ガチョウは大金を持ち出し、支払いは遅れていた。バートへの支払いも止まっていた。

当時の彼らにとって人生は苦痛でしかなかった。ガチョウは飛び立ち、カネは指の間からこぼれてゆく一方なのだ。ガチョウは「プレイヤー」であり、権力者であり、決定者だった。

私が店に入り「もしよければこのアンプを見てみようか?」と彼らに話しかけたとき、彼らの置かれた状況については何も知らなかった。

私はそこにあったAmpeg Revrocket に興味を惹かれ、見てみたかっただけなのだ。たしかBlues Deville もあったと思う。

オーナーはあまり乗り気でない様子だったが、「君はアンプをいじるのかい?」と聞いてきたので「ああ、気が向いた時に」と答えた。

オーナーは私を店の倉庫に案内し、ガチョウの最高傑作だという2000ドルの20Wアンプを披露した。

バートが作ったツイードのキャビネットや、シルクスクリーンの貼られたWeberのシャーシ、チキンヘッドノブなどから仕様は容易に想像できた。

中を見ると、パワー管が6L6になっている以外は完全にストックの5E3 (訳注:Fender Deluxe)であることがわかった。基板や部品の配置も昔のフェンダーの図面とまったく同じだった。

私はオーナーとバートの顔を見て、彼らを含め誰一人として、このアンプがどのようなものなのか理解せずに売っていることを悟った。

完全なミステリーだった。このストックのツイードデラックスがガチョウの最高傑作なのだ。これは彼らにとって魔法であり、そう言って彼らは販売したのだ。底の知れない魔法だった。

(訳注:10年以上前の話なので一概には比較できませんが、現在Weberが販売している5E3キットはキャビネット、真空管、スピーカーなどフルセットで約600ドルです)

私は立ち上がって「彼のODペダルはありますか?その中を見ることはできませんか?」と尋ねた。

渦巻き塗装のツヤツヤしたペダルを受け取り、中を見て1分後にそれが何なのかを理解した。

「私をからかっているんですか?あなたはこれが何なのか分かっているんですか?」

私はたしかそんなことを言ったと思う。もちろん彼らは(訳注:ペダルの中身について)信じなかったし、それどころかそもそもまったく気にしていない様子だった。私は驚きショックを受けたが、彼らにとってはどうでもよい話だったのだ。

興味を失ったオーナーは仕事へ戻ったが、バートは私がガチョウの2000ドルのアンプを安くコピーできるか聞いてきた。

バートは以前からそのアンプが欲しいと思っていたが、友人でありビジネスパートナーでもあるガチョウは彼のために作らなかった。ビジネスはビジネスという考えなのだ。

私はアンプを作った。簡単な仕事だった。内容は忘れたが回路に少し手を加え、たしか450ドルで譲ったそのアンプは素晴らしいサウンドだった。

ともにただの5E3なので当然だが、ガチョウのアンプと同じくらい良いサウンドなことにバートは驚嘆していた。

彼は同じ価格帯で少し仕様を変えたアンプを追加で4台注文してきた。私は彼と友人になったと思ったので、考えた末に制作することにした。

作業は楽しかった。私はギター関係の機材への興味を共有できる良い友だちを見つけたと思った。ただ私の興味はギター関係にとどまらず、電子機器全般にあった。友人とトヨタMR-2を組み立てたこともある。

完成した4台の5E3は、いずれもガチョウのアンプと同じぐらい良い音で値段は1/3以下だった。バートはまたも驚嘆したが、私は「落ち着けよ、それはただの5E3だぜ」と言うのを忘れなかった。

続けて彼はフェンダーのBassman、Super、PAアンプのコンバージョンといったアンプの修理を私に依頼し、その結果にまたまた驚嘆した。

彼はどうして私にそんなことができるのか不思議に思っていた。彼にとって私は何者でもなかった。

彼はガチョウと長く付き合い過ぎたのだ。彼はスパムサイトの告げる神話に魅せられていた。彼の頭はスパムに毒されていたが、彼はそれをスパムだとは思っていなかった。真実だと思っていたのだ。

賞賛を受けるガチョウのような人々は特別な存在なのだと思っていた。そしてバート自身もそのような存在になりたいと思っていた。彼は栄誉や称賛を求め、誇大広告という名のテーブル上にある特別な場所に行きたがっていた。

それは金につながる。長期に渡る利益に。すべては時間とともについてくる。彼はそれを切望していた。

これがとあるキャビネットビルダーに光が射した瞬間だった。



私にガチョウのペダルが作れるか?当時バートは不可能だと思っていた。一体どうやってあの魔法がこの男のガレージにやってくるんだ?と。

それでもとにかく彼は尋ねてみることにした。巨大で、ぶくぶくと太って、金にまみれたアイデアが生まれ始めていた。

私が趣味の世界からスパムサイトに毒されたワナビーがうごめく世界へ足を踏み入れたのはこれがきっかけだった。スパムサイトの闇から自作ペダルのマヌケの世界へ。

私は大量の改造ペダルやペダル製作に必要な材料を持っていた。また誰も興味を持たないゴミのようなペダルのコレクターでもあった。私は「高品質なパーツ」や「耳でファインチューニング」といった言葉に興味はなかった。

バートが私のガレージにやってきた。彼の目的はガチョウの全ペダルを安価に手に入れることだった。

ガチョウのペダルはあまりにも高価になったが、ブティックペダルという名の毒はバートの体から抜けきっていなかったのだ。

「わかったわかった、君の勝ちだ。君がガチョウから手に入れたものを持ってくれば、私に何ができるか見当はつくよ」

私はバートにそう言い、ガチョウのペダルがやってきた。実際に「魔法」を手にするのはこれが初めてだった。

1時間かけて確認した結論は:

・Dynamic Overdrive: パーツを3つ交換したチューブスクリーマー
・Mo-D: 完全にストックのPro Co Rat
・Clean Boost: Z.Vex Super Hard On にインラインゲートレジスタを追加したもの

バートはとりわけTSを欲しがった。それがTSだということは彼にとって全く関係なかった。

彼には電気に関する知識が一切なかった。彼は自分の耳を信じ、「ネジによってキャビネットの音が変わる」と語るタイプの典型といえる人間だった。

当時の私は今以上にペダルビルダーになる気がなかった。これも単なる友人へのプレゼントのようなものだったし、私にとっては悪ふざけのようなものだった。

またブティックODペダルの世界 - ステマという名のデカくて湯気の立ったクソの山 - から友人を救うためでもあった。

私はガチョウの「魔法の回路」を作った。私が彼のペダルで見たそのままのものを。私はバートに電話して完成したことを伝えた。

ただちょっとした問題があった。回路を収めるケースを作る気にならなかったのだ。私は量販店で買った2.99ドルの箱に詰めることにした。いろいろな回路のテストに使ったために穴だらけになった代物だ。

そのペダルのほかに自作品やキーリーのものなど複数の改造TSを用意し、バートが来る前に様々なギター、アンプ、スピーカーなどを使い1~2時間かけてテストしたが、わずかな違いしか無かった。

このクソはついに完成し、我が友が巨大な山だと思っていたものが本当は小さなモグラ塚だったと気づかせることができると確信した。



バートに会いペダルを見せたところ、「一体これは何なんだ?」という明らかに落胆した表情を見せた。私は彼に「いいからプレイしてみろよ、チャンスをくれよ」と言い、彼は試したが特別な印象は受けなかったようだった。サウンドは違うし見た目はクソだと。

私はたしかにその通りと認め、彼のエゴに合ったケースを作ることにした。そこにはエンパイア・ステート・ビルに登るキングコングの絵とともに「Gomer Pyle Effects」という文字を入れた。

(訳注:ゴーマー・パイルとは映画フルメタルジャケットの「ほほえみデブ」、またはその由来となった軍隊ドラマ「マイペース二等兵」の間抜けな主人公のこと)

そのケースに全く同じ回路を入れ、「再デザイン」のために疲れきったという体でバートに電話した。

試したバートは「このペダルはヤバい」と言った。

「このペダルはヤバい」…ああそうさ、そいつは君が前に試したペダルとは完全に別物だ。彼は「前のペダルとは反応が完全に異なり、あの感覚、あの魔法がある」と言った。

前回と今回のペダルは完全に異なり、キングコングペダルが勝者になった。素晴らしいと私は思った。気に入ったなら持って行きなよ。君のものだ。塗装を演奏できないなんて誰が決めたんだ?

彼が理解したかはどうでもいい。私は理解し、それで十分だった。
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クレイ・ジョーンズが語るジョン・ランドグラフとボブ・バートの真実、そして日本のブティックペダル市場の夜明け 後編 へ続きます。

ソース:The FrugalGuitarist.com - The Goose, the Middleman, the Idolmaker and Gomer Pyle
参考: Effects Database - Pedalman
Effects Database - [interview] Pedalman: Romain Bidaut

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